消えるKと青いアイツ

   助手に青べこがいます。

令和ちゃん6歳

 うーん、声に出しても文字に起こしても、時間の経過というものの実感が湧かない。体ばかり老いて外の世界がこの身に浸み込んでいないというか。否定しようもないくらい、俗にいう子供おばさんと化しつつある。

 年号が擬人化される風潮がSNSに出回っているよ、と教えてくれたのは今の職場でかつて同じく働いていた私より後輩だった女性だ。一年ほど前に体調を崩して連日欠勤したのち、退職した。私がいる部署は全体の作業工程において負荷のかかりやすい場所ということは実労働で身に染みていたから、それ自体は驚きはしない。「ああ、またか」と感じた程度。実際、入ってはすぐに辞めるということの多かった暗黙のブラック企業だからな。
 惜しむらくはその子が私なぞ足元にも及ばないほどのオタク知識に富んだ人間だったこと。知らなかった有益情報をたくさん教えてもらったから、口にはしなかったものの心の中では尊敬に似た感情を抱いていた。一緒に働いていた時期は楽しかったのだが、悲しいかな私達のようなネット民は労働に時間を取られ自由を奪われるとストレスでやられてしまうのだ。本当に気の合う人としか話ができない私としては辞めてしまったのも悲しかったし、使い潰す会社に少なからず憎しみも感じている。
 だから私も雇用社会から抜け出して別の場所へ行こうと考えた。彼女が立ち直って自分らしく生きられる道を見つけていることを願う。

 

 さて令和ちゃんの話だが、残念なことに新年おめでたくも何ともない。不幸な事件事故ばかりが続き、いったい現代の我々がどんな贖罪を求められているというのか。

 

 某有名芸能人のスキャンダルが検索サイトのトップにあがり、普段利用している為に嫌でも目につく。ネットの普及に伴いフェイクニュースも飛び交うのが当たり前になっている今の情報社会で、真実がどこにあるのかをただの一般人が見極めるのは困難だ。ゆえに、意図的に情報に触れないように努めるしかこの小さな脳みそを守る術はない。
 悲しいのは今まで楽しんで見てきた番組がまともに見れなくなることだ。両親共働き世代の子である私もまたテレビのお世話になり育った。事実を闇に隠すがごとく、釣り上げられた有名人が人気であればあるほど、消される際には関わった番組も道連れとなる。人を叩くことそれ自体に快感を覚えている輩は陥落の様子を見ていて楽しいかもしれないがな。

 

 贔屓にしていたアーティスト、声優、選手。ここ数年において発覚した問題のほとんどが性関連だ。別に嫌悪も軽蔑の意も湧かなかった。人の集中するところに闇と金のにおいが生まれるのはもう小学生でもわかることだ。
 私が愛していたのはその人ではない、その人が生み出した作品だ。他人の事情には興味がないので人としての道徳だの倫理だのの議論は拒否する。
 既に世に出たそれらまで否定されることに関しては、目の前に反対の主張をする者あらば物申したいところだ。人生で辛い時、泣きたい時、それらが心に癒しを与えてくれた事実まで無くされたくない。
 たとえまるで知らない人物のスキャンダルを見ることがあっても、この世の誰かはその人に救われたかもしれない。ひと目だけの印象で語ることはしない方がいいと、自戒するようにしている。


 個人的に崇拝するビートたけしに関しても、やれ不倫だの愛人だのの話が取り上げられているが、本人は世間の批判を気にする素振りも見せないのが、いい意味で「見えてる世界が違うのだろう」といやに腑に落ちてしまう、そんな印象がある。
 生温くあやふやな表現法が流行る中、まったく真逆に鋭いナイフで切り付けてくるような鋭さをはらんだ彼の映画には私も幾度となく魅了された。去年に全国放映された『首』は評価が極端に分かれるものの、おそらく長年のファンの間ではその現象はとっくに想定されているもので、世間に受け入れられなくとも好きなものは素直に好きを貫く、その姿勢は崩されないだろう。個人の興味の前に、作者の背景は不透明なままでも何ら問題はないのだ。それが私の持論。

 共感は大事だが、それをきっかけに仲間意識を抱くほどでもない。集団思想の危険性には注意しておこう。


 ちなみに映画『首』の感想 (ネタバレを含みます)

k-kieru.hatenablog.com