消えるKと青いアイツ

   助手に青べこがいます。

こんなんじゃやってらんないよね

 次々と顔馴染んだ同僚が職場から辞めていく事象に耐え兼ね、あくまでも体感的にだが精神を病んだ気がして1月末には退職した。それから2月半ばまではほぼほぼ家に引き籠って横になる毎日で、運動不足もあってか頭痛に苛まれ、そのあたりで本気の本気でこの状態をなんとかせんと精神科に通うことを決意したのだが。

 

 結果だけいうと、やはり無駄だったように感じた。

 

 地元は病院こそ多かれど精神病を取り扱ってくれる所や、心療内科自体もさほど多くない。その中でも規模の大きな場所を選んで(日によっては動くのもひどく億劫だった時さえ重く感じる体にムチ打って)見てもらうことにした。担当してくれた先生の印象は3月の記事のとおり。


 羞恥心も混じったか、初診こそ自分の心境や環境について語るのを躊躇ってしまったところはあれど、それ以降ではそこそこに主張は出来ていたように思っている。あくまでも自分で感じる程度の「よく頑張った」レベルではあるが。

 

「(抗うつ剤をもらって)気分は良くなったと思うのですが、また働くために動こうという気持ちにはなれません」
「ほぅほぅ」
「それでも1日や2日の単位で気分の浮き沈みが極端に出る感じがしますし、そもそもとして、昔から周囲の人に合わせて普通に労働することが難しかった気がします」

 

 のような会話を通院の最中に話し、一度発達障害の可能性がないかを検査してもらう。
結果、『傾向がみられるものの正常のレベル(意訳)』。

 

『傾向がみられる』と診断書に書かれてあるだけで、いわゆるグレーゾーンである等の説明は無し。個人の解釈ではそうだとも断定できない。
 それでも、仕事中に先輩の説明を間違って受け取ってしまい後にミスを発生させることが多かった、世間的に『普通はこう取る』が出来ない人間だということに遅くに気付いた等、抱えた悩みを自分なりに理解してもらいたい一心で診察のたびに訴えていたつもりだったが、先生にはまだまだ正常の域に見えていたらしい。

 

 そうでなければ「もう一度働いてみたらどうですか?考えも変わるかもしれませんよ」などと、社会で生き辛くて悩んでる相手に対して言えるはずもない。
 はっきりと確信した。この精神科医はハズレだったと。
 本当に目立った問題はないのかと問いかける気も失せ、以降の通院を断った。引き止められなかったということはそういうことなのだろう。

 

 精神病はたとえ専門家でも、精神の病という目に見えないものであるからこそ扱いが難しいし、正しく判断するのは難しいというのはネットサーフしている上で理解している。
 個人の経験を語る掲示板などでも、なかなか理解されずにいくつもの病院に掛かったという話はイヤというほど目にした。自分が頼る先でも、信頼できる人間に当たれるかどうかは賭けに近いだろうと、承知していたつもりだ。
 しかしいざ見切りをつけて次へと行動を起こそうとしても、なんだかもう、数回かかるだけで疲れてしまった。前述したようにこの土地には精神科は数えるほどしかない。どこかに掛かれば他を当たったところで少なからず情報が行きわたっているだろうと感じる、中途半端な田舎だ。
 他人に頼るのはもうやめようと思う。もとより私は子供の頃に痛い目にあってから、基本的に他人を信用しない方がいいと教訓を立てていたのをここまで来てはっきりと思い出した。

 

 短期のバイトでもないかと時々探してみてはいるが、やはり動く気力が湧かない。

 甘ったれだと罵られてももはやどうでもいい。所詮自分の痛みは自分にしかわからないのだ。