消えるKと青いアイツ

   助手に青べこがいます。

この時ばかりは生きててよかったと感じた。

 

 

 11月に入った今朝、TVの紹介で『探偵はBARにいる』の4作目が公開されることを知る。普段テレビ見ないからねぇ
 過去に松田龍平氏目当てでシリーズを見まくった私、朝から大歓喜。ついお出かけ前の時間にPCを開いて検索かけてしまった。
もちろん大泉洋氏もユニークで好感の持てる大俳優さんである。出演作品を網羅しているわけでもないが、2017年公開の映画シリーズ第三作目が私が初めて存在を認識した時期で、どんなものかと映画館に足を運んでから瞬時に「好みだ」とハマってしまった思い出(確かその時期に過去二作もTVで再放送されていたからそれで内容を知ったんだったかな)。


 松田氏は今作での役「無気力で格闘が強い言ってしまえば脳筋タイプ」よりは、儚くて繊細な美男性役の印象が強いかもだけど、なにしろはっきり御作品を拝見したのはこのシリーズが初なので、個人的には「カッコイイ系」のイメージがついてしまったために『御法度』や『蟹工船』などでの色気ある役が逆に?衝撃的で、何か別の扉を開きそうになった。

 

 なんかのセンサーでも働いたのか、新作の情報を聞いたのはこれを打っているついさっきのことだったのに、私は昨夜『探偵』シリーズがまた見たくなってサブスクで漁っていたところだった。もしかしたらそのよく利用しているサブスクのトップに出ていたとかそういった操作があったからかな?
 一作目から三作目まで、何度見ても面白い。探偵助手コンビのやりとり、昭和の雰囲気(ヤーさんが絡むなどの不穏な空気)、ベタなコメディ、可憐で影のあるヒロイン。この感じが自分にはストライクすぎる。いつまでもこのシリーズでやっててほしいくらいだけど、今回は本当の本当に最後なのでしょうね。踊るシリーズみたいに。

 

次のブログの内容は映画探偵シリーズを語ろうと思います。

 

サカナクションの山口さん…私あのグループのMV大好きだから応援してます。

 

 

『スプリット』(2017) ー 映画感想

※ネタバレあり

 

 無料配信サイトで公開されていたから観てみたよ
(というより万年金欠だから娯楽はタダで抑えたいのよね;)

監督/脚本 M・ナイト・シャマラン
主演

ジェームズ・マカボイ

アニャ・テイラー=ジョイ

ジャンル 人怖系サスペンス…と思いきや

 

 みんな大好き、私も大好きな『シックスセンス(1999)』の監督ですね。調べた時はびっくりした。「どんでん返し」が売りのように世間的にも語られてますがこの方はちりばめた伏線を最後にきれいにまとめるのが上手い印象。さりげなく御本人も作中に役者として混ざるので私なんぞはそういうの笑ってしまうんですが、制作者の遊び心としての一芸なんですかね?

 

●あらすじ
 ある女子学生3人が1人の男に誘拐されるが、その男はどこかおかしい。ある時は極度の潔癖症で荒れ、ある時は言葉使いも服装も女性になりきり、ある時は小学生のように幼い言動をする。メイン役の女子学生のひとりケイシーは過去に父から手解きを受けた”狩り”の経験を活かし、冷静な対処で目の前の予測不能な誘拐犯とやり取りを試みる。
 誘拐事件が騒がれている外では、ニュースを見た精神科医フレッチャーが自身の担当する患者のひとりに不信感を抱いた。その男性患者が深夜に送ってくるメッセージはいつもと違っていた…

 

 誘拐犯:ケビン役のマカボイ氏の演技がとにかくリアルで恐ろしい。普遍的な青年から成人女性、10にも満たない男の子の動きなどに瞬時に(撮影時に間があったかは測れませんが)切り替えられる演技力、そして、見たのは吹替版なので日本版声優を務めた内田夕夜氏の声もとてもイイ。両者ともいままでノーマークだったけどファンになりそうだ。

 ケイシー役の人どっかで見たことあると思ったら『マッドマックス』のフュリオサか。あの映画はマドマシリーズのひとつとしては物足りなかったが、個人的には隔離して考えれば十分楽しめた。余談。
 御本人の聡明な女子学生の演じ方にもしびれたが、うっかり幼少期のケイシーの子役に興奮してしまった。自分も大概ロリコンだなオッサンのこと侮蔑できん…

 

●2人の社会のはみ出し者
 誘拐犯ケビンは解離性人格障害を持ち、内に23人も抱える精神障害者だった(実際は20余人なんて出てこないけど、もしかして続編の方で活躍する?)。彼を診ていた医師のフレッチャー先生(日本語吹替に久保田民絵さん。あ~落ち着いたイイ声でぴょんぴょんするんじゃぁ~)もまたベテランの勘で不審な動きをするケビンを追い詰め、ケイシー側にとっても大事なムーブをしてくれる。良い人は大抵死ぬんだ…終盤まで穏やかに進むから人死には出ないといいなぁと期待していたがだめだったよ…
 個人的な感傷は抜きにしてもやはり、ラストの人間離れした男VS戦い方を心得ている女の子の攻防は面白い。映像中の各所で挟まれていた二人の過去も相まってより感情移入がしやすいと思う。「ビースト」に乗っ取られたケビンに反抗するケイシーもまた、病気とはみなされないまでも心に傷を負っていた。

 

●幼少期のトラウマ
 ケビンがなぜ精神分裂するまでに至ったかの経緯は回想としてはとても短かったが、序盤~中盤までで彼の別々の人格達が語り口調に説明したため、母親との関係も大体想像はついた。一方で内側にこもり恐らく誰にも相談することのなかっただろうケイシーの過去については、回想映像でイヤというほどの生々しさで視聴者に向けて語られる。彼女もまた「大人」に搾取されてきた側の人間だった。
 シックスセンスでも十分発揮されていたが監督の、人間の内側の忌避されやすい部分を容赦なく見せつけてくるその加減の無さがむしろ気持ちいい。よく動物の死骸映すの許されたな。
 最後に彼女の抱えるものを察したビーストは「お前は痛みを知っている」と嬉しそうな表情で言葉を残して去っていく。
 というか一貫して観たらこの女主人公ただのとばっちりじゃねーか。ひどい話だ

 

●ケビンのその後は続編で
 エンドロールでブルースウィリスの登場と「ミスター・ガラス」の言葉を聞いてビックリしてしまった。それまですっかり忘れていたのだが、そういえば私昔に『アンブレイカブル』見てたんだった。吹替の山ちゃんと那智さん目当てで…
 ここで調べてようやく3部作として公開されていたことを知る。さり気なく繋げてくるじゃない。好きだよそういうの。
 ラストまで観て「どういうことだ?」と思わせて他作品まで誘導する流れ、ハリウッド映画でよくあるやつ。

 

●総合評価
 ここまできたら『ミスター・ガラス』も見なくてはという気分になってしまった。ケイシーも出てくるらしいですし。
 ただひとつ懸念が。

 シャマラン監督は見た感じの個人的な評価だと「人間の根本的な感情の機微や心象」を全面的に出させてそれを軸に物語を動かすのが上手いイメージなんだけど、アメコミ系のヒーローものに路線を行かせたらイマイチな出来になるんじゃ…という心配がある。『アンブレイカブル』も他のハリウッド映画に比べれば戦闘シーンは控えめだったから良い印象を受けたし『サイン(2002)』は宇宙人を敵としたSF物でも、主人公家族に突然襲い掛かる非日常を尺のメインとしていたから楽しめたものの、ラストの宇宙人との戦闘でガクッとテンション下がってしまったもの。結末への期待値高かったばかりに…。正直に言うと、家族のひとりが病気持ちだったために命が助かったという解釈も強引な気がして白けてしまったし。

 ゆえに、この監督に戦闘をやらせてしまうとせっかくの評価が下がってしまうかもと不安なので、続編も心理戦色が強いことを祈る。

 


 日本での異能バトルものだと自分では『ストレイヤーズ・クロニクル(2015)』や『MONSTERZ(2014)』を思い出す。染谷将太氏と藤原竜也氏が好きなので。
 フジタツこそ遜色なしの本物の人外なんじゃないかと思うわ…地下で肉体労働するギャンブル狂いはともかく法で裁けない人間をノートで容赦なく抹殺するサイコになったり包帯ぐるぐるになったり背中に羽生やしたり、2026現在でCM多めの仕事に切り替わってなお顔変わってない気がするんだもん…(誉めてます)


 映画に比べればTVドラマなので内容はそれほど濃くはならないけど、2024年に『全領域異常解決室』もやってたな。

 

カタチのない精神というモノを支えるのは

 用事を終え、駅前から自宅へ帰る前に本屋をぶらつこうかとバスターミナルから踵を返した途端、何かしらの冊子を配っているリーマン風の人と目が合ってしまった。定番のにこやかな笑顔と共に差し出されるそれを普段なら避けていくのが私だったが、あまりに唐突でつい手を伸ばし受け取ってしまった。(曲がり角で人が現れたくらいの唐突さだと私は一瞬固まってしまうクセがある)

 現代がいかに不況かを語る新聞数面と共に、宗教法人らしいチラシ。『日蓮大聖人』といかついフォントが目立つ。
 私自身はそっちに明るくはないが、仏教を勧めようという意図は読める。最近読み終えたばかりの本でもその文字を見た。チラシにも載せられている曰く、

 

”人の救いは成仏にある”
”成仏とは『仏に成る』と書く”

 

 あくまでも私なりに解釈すると「財産だの地位だのは死後の世界まで引き継げない。その身に遺せるのは生前に築いた徳のみである。徳を積んだ者は仏の精神を得、大安楽となる」…こんなところで合ってるだろうか。

 どこで転じたのか詳しくは知らないがウチの父方はいちおう神道ということになってるし、父もそっちの方法で葬儀を行った。まぁ、だからといって神道に詳しいわけでもないけども、仏教なんてさらに縁がない。浅い知識を持っているだけだ。
 それでも――カネの匂いがするような胡散臭い法人の存在は抜きにして、信仰を心の支えとしている人々も世にはいるわけで。だからこうして無縁の私のもとに差し出される冊子がある。直接的に目に見える組織へ所属する必要はなくとも、誰にも侵略されない心という空間で自分だけの信仰を築くのも断然アリだろう。

 個人的趣向で現代の苦しみからどう逃げるかを語る動画をよく見ているのだが、その中でも頻繁に見聞きするのが釈迦の教えだ。解脱を成し遂げたという彼が説く教えは「すべての煩悩を捨て輪廻から解放される」ことが至福と謡われている(なんかのちのち分岐して一言に釈迦の教えといっても様々あるらしいけども…)
 信じていないが、私としても二度と人間には生まれたくないと思う。生まれ変わるとしても虫でも微生物でもいいから、人間だけは嫌だな。地球上でもそう居ないでしょこんなメンドクサイ生き物。

 逃げたいほど苦しい時に縋る先としては有ってもいいとは思う。立ち直れるのであれば結構だろう。周りにも執拗に進めたり、『教え』を免罪符に迷惑かけることがないのであればね。

 私も年齢が原因と思われる不調を感じ始めていて、なんとなく不安に感じる日が増えた。それでも今現在は相談できる人がいるから、多少迷惑に思われようとも向こうの『頼ってくれてもいい』という言葉に甘えさせてもらおうと思ってる。


 冬になるともっとつらくなるだろうなぁ。

 

 

「予定外」という因果に見合ってやっと動くのが人間

 台風で予定していた家庭のあれこれが無くなっちゃったので、折角と思ってサブスクで見られるだけのターミネーターシリーズで時間を潰してしまった。世間があれだけ騒いでマトリックスだのアイロボットだのと言うから、過去に見ていなかった分消化しようという気になっちゃったよ。シュワちゃんの顔における迫力は3作目からが好きだな。

 自分は自分含めて人間大っ嫌いだから別に滅ぼしてもらっても(あるいは人類側の自滅でも)全然アリだと思ってるんだけど検索しても意外にそういったコメントは出てこないね。最近の若者とやらは意外に人生エンジョイできているのか、あるいはアプローチの仕方が悪かったか。反出生を唱えてる層ではそういった意見が溢れかえってると思っていたのだが。

 まぁわかる。各所で戦争がおっ始まって世界規模に異常気象が起こり衰退の危機は目に見えるほどになってるのに、その影響を(まだ)多大に受けてはいない平和な日本でぬくぬくしながら何を言っているのかコイツはと非難されるだろうことは。
 ただそのことについてここでぬくぬくしている私から言えることは『私とあなたで入れ替わることはできない』だけ。

 そして今後、ここにいる私にも飢餓級の災難が来て「誰かに代わってほしい」と願ったところで、それを叶えられる超人的存在もいないだろうということも。

 

 今年の7月~9月ころに10話分放送されたサイエンスSARUの攻殻機動隊、湯浅政明氏のファンとしてはとても嬉しい話だった。贅沢を言うなら過去のSACや2045くらいのボリュームが欲しかったが、原作準拠で行くのであれば致し方なし、かな。

www.theghostintheshell-anime.jp

 しかし最新のアニメーション技術で描かれた大作漫画でもやはり押井版攻殻機動隊GIS(1995)/イノセンス(2004)のインパクトが強すぎるな…押井監督の世界観については各所で諸々と言われているが(癖の強い話なので素人の私からは何も言えない)原作の草薙素子も押井版草薙素子もどっちもアリだと思っている。

 その上で映画版GISから引用するが、草薙少佐が海の上で語った

「(浮上できなかったら)死ぬだけよ」

 生身の肉体と代替できる『義体化』によって生死や魂の有無についてが浮き彫りにされるこの作品を思い出すにあたり、真っ先に頭に浮かぶのがこの台詞だ。このしたたかな女性はあっさりとそう言ってのけるのだが、私はいつも考える。

 

 人間その時になって、潔く生を諦められるのだろうか。

 

 無論、溺れながらその時が来るまで出来る事もないのであれば待つ他はないのだろう。だが、中途半端に生きられてしまう可能性がある場合は?死にたいと思ってる時に丁度目の前に通り魔でも現れて、すわチャンスだなんて思って抵抗もせずいられるだろうか?何も食うものが無くなったとして、思考が狂って他者を襲おうなどという考えに至らずそのまま安らかに逝けるだろうか?

 言葉には多角的な意味が含まれる。「やばい」が危険を語る意味を超えて、感動や驚きといった幅広い意味でも使われるようになったように。
 故・田中さんの独特な哀愁を帯びた「死ぬだけ」の一言が、生への諦めなのか、死への希望なのか、「ゴースト(自己、自己を表明できる物的証拠)」を信じ切れない絶望なのか―――
 答えを考えるのは楽しいけれど、私自身も、自身を取り巻く現実に何の期待も出来なくて、この虚しさを逃がすだけで日々一杯一杯だ。

 

 そういったら「それもまた贅沢な悩みだ」とか言われちゃうのかな。
 人と関わろうとしない奴が一体誰に?
 自分の中の「認識出来うる範囲の世界」に。

 

 

 

解決策は生活習慣かもしれない

 今日も今日とて曇天が続く……ずっとお天道様を見てないな。私も洗濯物も。


 新しい薬を飲んでからの副作用が大体わかった。

 だるいよりなにより、ものすごーーーーーーく眠い。

 今朝も携帯でアラームを設定していたはずなのに全く効かずに30分熟睡していたらしい。30分で済んでよかった。幸い出かけるのにはそこから一時間は余裕がある。

 にしても目覚めて驚いた。夜更かしした翌日でさえ、いつも携帯のアラームで目を覚ましていたのに。自分としてもかなりびっくりしたのでこうして書いている。
 昨晩も指示に従い夕食後に飲んでからまたふらふらふわふわとした感覚に襲われたのだから、十中八九このカプセルの効果だろう。
 体に馴染むといいのだけど、起きた後も少し倦怠感は残るし、先生に相談した方がいいのかなぁ。

 ところで外出する時、流石にイイ年なのでお肌も荒れ、化粧でごまかさないといけないかとここ最近はするようにしているのだが、これがまた気持ち悪い。化粧水のベタベタ感とパウダーの感触が。
 昔からニキビもできやすいし、敏感肌なのだろうか。化粧は本当に苦手なので最低限の分しかしたことがない。

 今は男性も多少なりお化粧をすると聞く。必要ないだろうとは思うのだが、自らこんな面倒な文化圏に足を踏み入れるとは。圧力社会は怖いなぁ。