消えるKと青いアイツ

   助手に青べこがいます。

令和5年10月、はじめる

 2023年9月27日 午後
 それが私の祖母が亡くなった時間でした。
 2020年に新型コロナが流行り『高齢の方が感染しやすく危険』との情報が出始めてから
老後施設に入っていた祖母への面会が3年も叶わないまま、あの人は逝ってしまいました。
 思うこと吐き出したいことがあったので、忘れやすい自分への備忘録としても、このブログを始めるきっかけとして一番最初に残しておきます。

 

 

 90を過ぎて寝たきりになってしまった祖母の限界が近いとの知らせを受け、もはや感染の収まりを待っている猶予もないと仕事の休みの日に病院へ行き、自分で起きるのもままならない、栄養パックに繋がれた祖母に会ってきたばかりでした。
 起きている、というのが正しいのかはわかりません。担当医の方からも寝ている時間が殆どだと聞いていましたし、会いに行った時間も眠っているのか目を閉じているだけで意識はあるのか、素人目には読めなかったもので。
 残念ではありましたが無理もさせられないと思い、一方的な声掛けを決められた面会時間まで続けたのち帰りました。もう長くはないなと、実際に目にして覚悟はしていたつもりでしたが、まさか2日後にその知らせを受けるとは。

 

 実は私が面会に行った翌日には、私からの知らせを受けた姉(すでに嫁いで姓は変わっています)が祖母に会いに行ったらしいです。やはり状態は同じだったようですが、私達ふたりの孫が会いに行くまで待っててくれたのかもしれないね、と母が言ってくれたように、私もそうであったらいいと思います。
大好きだったのかというと、正直素直にYesといえない自分に少し驚いています。好き、では確かにありましたが、焼かれて骨だけの祖母を見た時も、涙が全然出てきませんでした。悲しい思いはあっても泣けなかったのです。

 私はかつて犬を一匹飼っていました。何が混ざっているのかも一見わからない雑種の中型犬。保護犬だったのを父がもらってきてくれたのです。とても元気な奴で、ざっと16年は生きたと思います。主に散歩やご飯を担当していたのが私だったのですが、まだ子供の時分だった私は時々散歩や洗体をサボってしまい、その点で良い飼い主だったとは言い切れません。そのことを今でもずっと後悔しています。
そこそこの年齢に育ってきた頃に、足を悪くしてから一気に彼の体力は落ちていきました。ついその前までは年の割に元気だなあと思っていた矢先です。彼は自分で食事もできないほど弱り、ついに水すらも飲めなくなりました。痩せた体を前にして、私はみっともなく勢いのまま泣きました。近づいてくる死が怖いのは何より彼だっただろうに。彼の前で泣くなと叱る父の配慮にもっとはやく気付くべきだった。
そして彼が冷たくなっていたのは日曜の朝、その日も仕事がなかったので、同じように母はあんたの時間を考えてくれてたんだよと慰めてくれました。ペット霊園で供養してもらう間も私は涙を止められませんでした。

 

 私が、いのちの終わりについて憑り付かれたように考え始めたのは思えばこの時からだったと思います。
 もとより私は小学生の頃いじめにあってからずっと外の世界というものが嫌いです。いじめといってもおおよそ軽い程度で客観的に見れば取るに足らないものだったかもしれませんが(とはいえ、今のネガティブ思考な私を生み出すには十分なほど)

 基本的に他人とはいつどんな状況で自分を傷つける存在へと変わるのか、あるいは無差別に周囲を荒らしたいような人間のターゲットにされてしまうかと悪い想像に苛まれ、時には学校に行きたくないと仮病を使うことも多かったです。ある意味では自分の存在を否定して消えたい願望を抱きながら生きてきました。
 飼い犬の死を境に、考えが変わっていたような気がします。より悪い方向に進んでしまったというのか、今に至るまで、生きる希望というものが見出せません。
私という生に意味はあるのか、ないと結論したところで何が出来ようというのか、大事な存在の喪失にこんなに苦しくなるというのに、それを覆してくれるだけの幸福がいったいいつ我が身に訪れてくれるのか。

 

 私には恋人が出来たことがありません。上述したとおり、他人が怖くて苦手です。きっとこれからも大転機でも来ないかぎりずっとひとりでしょう。おそらく同年代の方の一定数が感じているように、この未来の見えない世界に新しいいのちを産み出して、人生を押し付ける真似もしたくありません。

 祖母は見た感じ強い女性でした。祖父が亡くなっても数年間、木造建ての自宅にひとりで住んでいましたから(野良猫は住み着いていたようでしたが)結果的には家族親族の手を借りて人目のある所で息を引き取りましたが、体の動けるうちは自分のことは自分でやりたがる人でした。
 私はきっと、どの程度生きるかわかりませんが、どこかで孤独死するでしょう。あくまでも予感程度ですが、それほど長生きもしない気がします。ただそれまでは、なんらかの変化があって気が変わるまでは、自分だけで生きていたいです。

 

ここはなんとはなしに思ったことを綴るだけの、日記として使わせていただきます。