消えるKと青いアイツ

   助手に青べこがいます。

年末とやらの空気

 といっても個人の感覚では毎日なにも変わった気はしないんですけどね。
 民家のクリスマスツリー見ても(電気代だいじょぶ?)くらいしか。

 仕事を辞めたいという意思を会社に伝えてからというもの、なかなかコトはうまく進まない。
 派遣社員である以上、契約期間を満たすまでは会社に居続けないといけない。そこまでは稚拙な私でも理解できている。
 それでも期間まで働き続けるのは少し難しいかなと体感的に感じていたので、だから緊急対応してくれる病院の精神科にかかって何らかの診断を出してもらおうとしたのだが、考えが浅はかだった。
 予約ではもちろん一ヶ月先になるのはもはや常識となっているところだが、急を要する診察となるとそれを判断する以前通った内科の推薦状をもらわないといけないらしい。

 あの先生、態度はやさしいけど親身に聞いてくれてるようには感じられなかったんだよな…
 せっかちな私はそこで「もういいです」と次の診療を断ってしまった。特に引き止められもしなかったので。

 一ヶ月も耐えられたらそれ病気じゃなくね?の反抗精神にも似た気持ちでつっぱねつつ、しかししれで通勤の辛さをどうにかできるわけでもないから、先生に診てもらうどうこうより先に会社の上司に期間を無視しで休みたい旨を伝えてしまった。
 そこからは派遣会社と派遣先とでもみくちゃ面倒くさいことに。

 私っていつもそうなんだよな。もうちょっと考えればうまい立ち回りができたところを、今まで我慢してきた思いを悪いタイミングで吐き出してしまう。溜め込んでたのはあくまで私の意思で、そこに関しては周りは関係ないのに。

 やさしくお説教した上司は情の厚い人ではあるんだろうけど、正直自分のことで頭がいっぱいで感謝とか申し訳ないとかの感情はいま拾ってる暇はない。とにかくまとまった時間が欲しいんだよこっちは。


 それが昨日の話。

 今朝起きて、数日前から食欲のない私を心配して、責めてきたりしない母を見遣って、「やっぱりちゃんと専門家に見てもらおう」という気持ちになった。
いつまでも子供みたいな屁理屈こねていられない。いや、結局人嫌いは変わってないので職場は早々に辞める気ではいるけど。

 少し前に観た『最高の人生の見つけ方』で考えさせられることはあった。これは日本のリメイク版の方なんだけどね。
 天海さん、何年たってもお美しい。

 

 

 もう幾度となく死を考えることはあった。始まりはたぶん小学生から。
 その頃から人の輪になじめないし、静かにしているだけなのに目立つのが嫌だったし。当時は今ほど許容されていなかった不登校にもなりかけた。勝手に休むたびに親は呼び出されて面談のようなものもその度に行われた。
 他人が苦手という意識はその時に既に固着してしまっていたんだな。

 自死自傷なんて、考えるだけで実行に移したのなんて数回程度だけど(だってめちゃくちゃ苦しいし)その場から消えたいって思いは生まれてからずっと抱えている。
 ただ、そのことについて言及するネット記事や掲示板を覗くと決まって書き込まれている「どうせ死ぬのなら好きなことしてからでも遅くない」という言葉は、それは確かにそうだと思う。
 ここのところ寒さにもやられて余計気持ちが沈んでいたので、この映画を単純に楽しめてしまった。 実際に自由に旅行できるほどの金持ちと知り合いになれるなんてありえないだろうけどね、まぁ架空の話だから、ファンタジーはファンタジーとして捉えないと。

 本であれネットの端のつぶやきであれ、先人の残してくれる言葉には多少なり吸収する価値がある。と今の私は感じている。どうせなら、やってみたいと思っていたことに手を付けてから終わりについて考えようかな。
 世間様からは親に寄生するニートだと思われるかもしれない。でも今はどうでもいいと思っている。私が生きて存在するのはもとはといえば私じゃなくて親の勝手な意思だもの。
 望んでもいないのに勝手に産み落としたんだ、その分は好きにやらせてもらう。

 

 私は創作関係がしたいんだ。

 それに関しては、今は専門じゃない一般人でもモノを作って売り出せる世の中になったことは非常にありがたいと感じている。